子供は「遊び」が仕事と良くいいますが、そもそも子供にとって『遊び』ってなんでしょう?
分かっているようで、分からないなあ、と思いませんか?
一児の息子を持つ親として、子供にとっての『遊び』、について真剣に考え、調べてみました。
遊び=悪いもの?
子供の頃、「遊んでばかりいないで、ちょっとは勉強しなさい!」と言われた経験はないでしょうか?
「勉強ばかりしていないで、ちょっとは遊びなさい!」と言う親は滅多にいないと思いますので、おそらく、皆さん心当たりがあると思います。
私はと言うと、幼稚園頃まではなぜか遊びに対して寛容だった親が、小学校を境目に「勉強」の方へ重要度をシフトしてきた記憶があります。
おそらく、他の親も同じで、小学校に入り勉強が始まると、子供の成長を「勉強の習熟度」で図ろうとするからではないか、と私は思います。
小学校に入った頃から、いつの間にか、遊び=悪いもの、勉強=良いもの、になってしまう、、、
本当に遊びは悪いものなのでしょうか?
遊びは、知識の栄養
色々と調べている中で見つけたサイトから引用させていただきます。
http://www.ed-inter.co.jp/document01.html
子どもにとって『遊び』は、言わば「知識の栄養」です。食べ物から得る栄養が体の成長に大切なように、『遊び』も頭と心と体のバランスのとれた成長に必要不可欠な栄養です。
子どもは、楽しいと感じている時にこそ多くのことを学びます。机にむかって「お勉強」として学ぶより、楽しい遊びを通してたくさんの「考える」経験を積む方が、そこで体感した新しい発見を「知識の栄養」として吸収し、自分のものにすることができます。子どもにとって生活すべてが「遊び」であり、楽しい「学び」でもあるのです。
私もこの意見に賛成です。机の上に座って勉強する「知識」が役立たないとは言いません。
しかし、実際の体験・経験を伴って学ぶことの方が圧倒的に早い成長に繋がると思います。
なぜなら、体験・経験する過程で、色々なものを聞いて、観て、触って、考えるからです。
机に座った勉強では、視覚しか使いません。
一方、遊びでは5感をフル活用するので、それだけでも情報量が圧倒的に違います。
遊びは、生きた学習
子どもたちは夢中になって遊びながら、走る,跳ぶ,転がる,投げる。知らず知らずの内に、身体中の筋肉を、骨格を、神経をフルに動かしているうちに、「体育」の勉強をしています。
遊びながら、跳ね回りながら、会話を交わし合いながら、時にはけんかをしながら、時には譲り合いながら、子どもたちは遊びを通じて、生きた「国語」や、「社会」や、「理科」や「体育」や、さまざまの学習,勉強をしているのであります。
単純に、無機質なドリルの紙上で、人との会話もなく、けんかもなく、ただ一つだけの正解を求める“ひとり静かな勉強”とはまったく違います。その場その場の顔ぶれや状況に合わせて多様な解答の中から一つの正解に導いていく知恵<、これこそ、「生きた知恵」であり、「生きた学習」です。
http://www.kitashirakawa.jp/edu6.html
社会人になり、仕事をするようになった時に、良く分かりまました。
何かを解決していくには、単に一人でお勉強ができるだけではダメだと言うことに。
(ちなみに、私はお勉強ができるタイプでしたので、このGAPに苦労しました)。
子供の頃の遊びが本当に活きてくるのは、ビジネスをする時だ、と思います。
子供時代の遊びの重要性
遊びといえば、今日ではゲームボーイなどの機器遊びが主流です。
しかし、与えられたものを単に消化していくだけの、いわば「作業的遊び」は、快楽を与えるレジャーとしては機能しても、想像力や創造力を伸ばすという目的にはそぐわないと私は捉えています。画面を見ながらただひたすらボタンを押していくだけの繰り返しでは、生産的能力や思考力が身につくとは到底思えません。
例えば会社で、「ここに書いてある方法で、この書類を処理して」という指令には無難に対応できても、「ここに真白い紙がある。自分の企画を思うように描いてみなさい」といった要求には充分に応えることができないと思うのです。「自分の考えを述べる」という基本的なことにまでマニュアルに頼る時代・・・。
私は、仕事柄、大学生と接する機会が多いのですが、上記したタイプの学生が余りにも多いことに本当に危機感を感じています。自らの意見を発することもなく、指示を待ちながら友人と群れ楽しんでいる集団が社会へ出てからどのように自己表現をしていくのでしょうか。
このような学生が増えた原因の一つとして、学校や家庭での教育の問題に加え、私は、子供時代の遊びの質に根深い問題があることを指摘したいと思います。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/1844/ms1.html
私の子供の頃は、公園で缶蹴りやケイドロなどをしている時代でもあり、またゲームボーイが流行していた時代でした。
どちらも楽しかった覚えがありますし、ゲームにはゲームで良い所があると私は考えています(上記の著者は全否定ですが)。
ただ、やはり得られる学びは、誰かと遊ぶことの方が多いというのは事実だと思います。
遊びの大切さを再認識したうえで、どんな遊びが子供にとって良いのか?
それを考えながら子供の成長を見守っていきたいですね。