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今でこそ有名なB級グルメグランプリ(B-1グルメグランプリ)。

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このB級グルメグランプリは、とある一人の男の頭の中から考え出されました。

あまり知られていない、B級グルメグランプリの誕生秘話を紹介したいと思います。


B級グルメグランプリとは

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(写真は2009年9月、秋田県横手市で行われた第4回B-1グランプリ。出典:http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20100914/1032936/

みなさん、B級グルメグランプリをご存知でしょうか。
むしろ、日本国内では知らない方がいないかもしれません。

しかし、このB級グルメグランプリ、記念すべき第1回(八戸大会開催)は、2006年2月ということで、意外に歴史は浅いのです。

なぜ、B級グルメグランプリはここまで有名になったのか?
そして、それを有名にした立役者は誰なのか?

そう、そこには一人の男がいたのでした。


「富士宮やきそば」をブランドにした男

もともと、「B級グルメ」という言葉自体は、だいぶ前からありました。
Wikipediaによると、「B級グルメ」の定義は「安価で日常的に食される贅沢でない庶民的な飲食物」だそうです。

ところが、B級グルメグランプリの登場により、この「安価で日常的に食される贅沢でない庶民的な飲食物」という概念は大きく変容を遂げることになります。

そして、そのB級グルメグランプリを考案し、企画し、開催までアレンジしたのが、渡辺英彦氏です。

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渡辺秀彦氏の略歴を紹介します。
出典:NPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗
http://fujinomiya-honpo.com/aboutus/supporter/hidehiko-watanabe/

日本のまちおこし専門家。静岡県富士宮市出身。

国際基督教大学教養学部語学科卒業後、外資系損害保険会社AFIA勤務を経て、28歳で故郷富士宮に帰る

社団法人富士宮青年会議所理事長、インシュアランスブレイン代表などを務めたのち、富士宮のまちおこしのため「富士宮やきそば学会」を設立
。以後、メディアを使った地域ブランド戦略を軸とし、各地でまちおこしを展開している。

主な著書に『ヤ・キ・ソ・バ・イ・ブ・ル 面白くて役に立つまちづくり聖書』など。

外資系バリバリの会社で働いた後、若干28歳で故郷に戻った後、町おこしの活動に注力していったという経歴です。

この時点で、普通のサラリーマンとはひと味違うなあと感じます。


「富士宮やきそば」のプロモーション

さて、この渡辺秀彦氏が、どのようにして、B級グルメグランプリを考えるに至ったか?
それを紹介していきます。
出典:HRインスティテュート

2000年、渡辺秀彦氏は東京から富士宮に帰った後、富士宮のまちおこし、をしたいと感じます。

そこで、富士宮では当たり前のように存在するやきそばを通じて、まちおこしをしようと思い立ちます。

そして、起こした行動は、「富士宮やきそば学会」なる団体の結成です。

やきそばに学会という組み合わせは、一見冗談のようにも思えますが、学会という表現にもある通り、渡辺氏はそこからさらに行動します。

やきそばG麺を結成し、富士宮やきそば学会メンバーとともに、富士宮中の焼きそばを徹底的にリサーチ。

そのリサーチ結果を「富士宮やきそばマップ」なる一枚のマップにまとめ上げます。

この一連の行動がメディアの目にとまり、取材が殺到。露出度が増える度に、「富士宮やきそば」がブランディングされていきます。

また、渡辺氏はメディアだけに留まらず、行政(富士宮市)を巻き込み、「富士宮やきそば」をビジネスとして育てていきます。

そして、、、

同じ悩みを持ったまちおこし団体が一緒になれば楽しいじゃないか」と考えた、渡辺氏は他のまちおこし団体を巻き込み、現在のB級グルメグランプリが誕生することになります。

このB級グルメグランプリは、渡辺秀彦氏という一人の男の、「まちおこしへの情熱」から生まれました。

大きなムーブメントを少しずつ紐解いていくと、必ず一人の人間の「想い」に辿り着きます。

そんな大事な事を教えてくれるB級グルメグランプリ、皆さんも誕生秘話を旨に参加してみてはいかがでしょうか。

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