お正月が終わった後の、門松や注連縄などのお正月道具の処分はどうされていますか?
小正月の1月15日にこれらを燃やすの火祭り行事が「どんど焼き」です。
「どんど焼き」とは何か?、語源や由来・起源は?、なぜ「どんど焼き」をするのか?など、気になることを調べてみました。
パッと読むための目次
「どんど焼き」とは
五穀豊穣、無病息災、家内安全を願う火祭り行事
「どんど焼き」とは、お正月に飾った門松や注連飾り(しめかざり)・書き初めなどを神社に持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やし、五穀豊穣、無病息災、家内安全を願う火祭り行事です。
どんど焼きの方法
全国各地で様々な方法があるようですが、田んぼや空き地に、長い竹や木、藁(わら)、茅(かや)、杉の葉などで作ったやぐらや小屋を組み、正月飾り、書き初めで飾り付けをしたのちそれを燃やし、残り火で餅や団子を食べるというのが一般的です。
なぜ、正月道具をまとめて焼くのか?
単なる正月道具の処分ではない?
1月15日を過ぎると、正月行事はほぼ終わりますので、正月道具の処分を考える必要がありますよね。
「神様に関するものを可燃ゴミに出すのは気が引けるので、神社でお焚き上げしてもらおう」というのが、多くの方の考えではないでしょうか(調べるまでは、私は上記のように思っていました)。もっと深い意味があるようです。
どんど焼きの意味
どんど焼きは、もともとはお盆と同じように、祖先の霊を送り迎えする火祭りの一種でした。
お盆には、送り火をたいて、祖先の霊が迷わないように先導します。
一方、どんど焼きでは、燃やした煙に乗って、年神様が天に帰っていくと信じられていました。
つまり、毎年家々にやってくる歳神(歳徳神、恵方神)、五穀豊穣を司る田の神(穀物神)、家と子孫を守る祖霊神を門松や注連飾りによって出迎え、正月行事が終わった後は、それらの正月道具を燃やす炎とともに見送るという「送り火」が「どんど焼き」の本当の意味なのです。
「どんど焼き」の言い伝え
上述したように、「どんど焼き」の送り火は神様を送る尊い火であることから、どんど焼きの火にあたると若返るとか、どんど焼きの火で餅や団子を焼いて食べると、1年を健康に過ごせるとか、書き初めを神火で焼いて、高く上がると、習字が上手になる、などといわれています。
地方によっては、灰を体に塗ったり、家の周囲にまいて魔除けをするところもあるようです。
「どんど焼き」の全国での呼び名
地方によっては「とんど」、「どんど」、「どんだら焼き」、「どんどろ祭り」、「おんべ焼き」、「さいとう焼き」、「ほっけんぎょう」、「三九郎焼き」、「ほじょり」、「ほうじょり」などがあり、東日本では「才の神焼き」、東海地方から西日本では「左義長(さぎっちょ)」などとも呼ばれています。
「どんど焼き」の語源
「どんど焼き」の語源については、諸説あるようです。
■『尊(とうと)や尊(とうと)』とはやし立てながら燃やしたのが、なまったという説
■どんどん燃える様子からそれらの名称がついた、という説
■青竹を燃やした時の「ドンッ」というはじける音からついたという説 …など
「どんど焼き」の由来・起源
「どんど焼き」の別称として「左義長(さぎちょう)」という呼び名がありますが、これがどんど焼きの起源とも関わっているといわれています。
出典:うつわの小径 http://www.rakuchu-rakugai.jp/blog/2011/01/post-28.html
平安時代の宮中行事(左義長)
左義長(三毬杖)は、正月十五日、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡いはやしながらこれを焼いたという行事です。
それが民間に伝わりどんど焼きとなったといわれています。しかしこれ以外の説もあるようです。
まとめ・感想
神様を天に送り返す行事が「どんど焼き」
お正月に門松や注連飾りで神様をお出迎えし、正月が終われば、正月道具を燃やした送り火で、神様を天にお帰しする。
そのための送り火として「どんど焼き」という行事があるということが、今回調べる中で良く分かりました。
今まではお正月の飾り道具を処分しにいく行事(ついでに、美味しい餅や団子を食べる行事)というなんとも浅はかな考えだった自分が恥ずかしいですね。
なぜ「どんど焼き」をするのか?どんな意味があるのか?ということを知ると、日本の良き文化・伝統だなと感じます。こういった文化・伝統は子供にもしっかり伝えていきたいと思います。
本記事が「どんど焼き」に参加される際の参考になりましたら幸いです^^